うさぎの書斎

司書教諭が読んだ本

ピカ

 8月6日なので、ヒロシマに哀悼の意を込めて。

 

小学校1年生の時の、母からのクリスマスプレゼントがこの本だった。

ひろしまのピカ (記録のえほん 1)

ひろしまのピカ (記録のえほん 1)

 

 広島の原子爆弾の投下については、この絵本で初めて知った。

以来、私は戦争の本に興味を持ち続け、中でも広島・長崎についてより強い興味を持ち続けている。もっというと、ジャンルがジャンルなだけに、この表現はふさわしくないように思うが、私の戦争文学好きとなった原点である。

 

この本から私が感じとったのは、灼熱地獄の熱さと、一方で不気味なまでの静寂である。原子爆弾によって、一瞬にして吹き飛ばされてしまった広島。その光景が目に浮かぶようである。

ヒロシマの悲劇について読んだ次の本は、少し前に話題になったこれである。

〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

 

 私にとってこの本は、『ひろしまのピカ』に描かれた光景の裏付けとなった。特に皮膚が高熱で溶けてぶら下がってしまうのは、誇張ではなかったことを知った。

小学生当時は繰り返し読んだが、正直なところ今は読めない。絵を見るのが辛いのである。画風に批判的な意見があるが、それ自体は認める。認めるが、やはり原子爆弾がなぜいけないのか、そして戦争がなぜダメなのか、それを子どもに訴えかけるにはなくてはならない作品である。これがなくなったら、私達は原子力爆弾の威力を忘れ、平気で核と共存する道を選んでしまうだろう。そして歴史に学ぶことなく、同じ過ちを繰り返し、多くの命をムダにしてしまう。

 

小・中学校時代、学校図書館で、この手の戦争に関する写真集を見るのが大好きだった。そして戦争に関する本も、図書館にある限り読んだ。

その中で疑問に思ったのは、なぜ日本は戦争を起こしたのか、そしてなぜ負けたのか、

なによりどうして国際的にアメリカが責められず、そして日本もアメリカを恨んでいるようにみえないのか。子ども心に疑問はいっぱいあったが、どれも適格に答えてくれるものはなかった。ただただ、敗戦を受入れ、復興に専念した姿だけが浮かび上がる。玉音放送にもあった、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」を戦後も体現したようで、すなわちそれが日本人の国民性だったのかもしれない。その耐える強さが、戦後思わぬ速さで発展したようにも思える。

広島の原爆に興味を持ち続けた私は、広島の地を訪れ、平和記念公園および資料館を訪れるのは夢であった。

訪れ機会は、長崎の方が先だった。高校2年の修学旅行が九州で、長崎を訪れた。実際に長崎の街を歩くことで、広島より被害が軽微で助かった人も多かった理由が実感としてわかり、また資料館も初めて見る資料に興味深かった。

大学時代に広島を訪れることができ、資料館へ訪れたが、そこに並んでいる資料の多くはすでに本で目にしているものが多く、目新しいものがなかったことに落胆している自分自身に驚きショックだった。

 

昨年、再び広島を訪れた。

かつてのショックも和らぎ、改めて展示を見ることが出来た。展示されている人形の撤去問題直後であったため、戦争の悲惨さを伝える表現手段の問題と受け止める側の問題について考える良い機会が持てた。

戦争は、人間の本能や、政治力学から考えたら容易になくなるものではない。どんなに悪いことだとしても、暴力がなくならないのと同じである。

だからこそ、反戦運動平和運動は大切なのである。少しでも戦争を思いとどまるようにするために。少しでも悲劇を少なくするために。

その第一歩が、過去の悲劇を知ることでもあり、読書の効能として大切な事でもある。