うさぎの書斎

司書教諭が読んだ本

英語は共通言語になり得ない

私が作文教育関係で教材研究をする時、必ず手に取るのが外国語専門の言語学関係者の書籍である。少し前なら鈴木孝夫や外山 滋比古あたりの著作を愛用していた。

日本人学者による日本語学のための書籍は、基本的に日本語学を学んでいる人間のためのものであって、その専門をかじっていない人間にはなかなか難解なのである。その点、外国語の専門家は、自分が教える相手にとっても外国語であるからたぶんそれをふまえて比較的平易に説明することも習慣化されているだろうし、何よりも日本語を外から見ることでわかる、私にとっては新しい視点が新鮮で面白かったからだ。特に大学・大学院時代通して、文学の講義・演習は履修できる限り履修したのにもかかわらず、言語学関係はことごとく逃げ回っていた私には、わかりやすく日本語について説明してくれる格好の著者たちである。

最近はもっと具体的に生徒達にどうてにをはの使い方をおしえたり、ありがちな間違いや勘違いを理論的に正していくかが、私にとっての課題。

高校生相手なんだから、きちんと論理的にしかもわかりやすく説明しないと、生徒も納得しないし身にもつかない。そこでよく利用するようになったのは、日本語学習者のためのテキストである。敬語の使い方などはこちらの方がわかりやすいし、どういう点で躓くのか、またどのような思考からそのような間違いに行き着いてしまうのか、もわかるからだ。高校生ぐらいになると似たような間違い例も見つかるため非常に参考になっている。

一方で、最近つねづね考えさせられているのは、言語活動の読む・書く・聞く・話すのうち、読む・書くは非常に高度な言語活動であるにもかかわらず、その点は無視され四技能を一緒くたにされている印象がぬぐえてないことである。英語教育でもそうなのだが、下手すると話す技能が重視され、より高度で訓練を受けなければならないはずの読み・書きがないがしろにされてしまっているからだ。もしくは、それほど表現活動ができていないのに、できているかのように幻覚を見ているかのようにも思えるのが、最近危惧しているところ。

そういうなかで、いかにわかりやすく伝えることが大切か、ということを生徒達には訴えてきたのであるが、意外にも大人たちがそれを理解していない。ムダに長い文章が多い。特に教師という職種は、文字を読んだり書いたりするのが比較的得意な人々の集まりでもあるせいか、簡潔にわかりやすくという視点が抜け落ちてしまう困った点がある(かくいう私も、止められなければ長文になる傾向あり)。

わかりやすく簡潔にどう日本語を書いていくのか、それが最近の関心領域だから、この本はすぐに目に入った。 

やさしい日本語――多文化共生社会へ (岩波新書)

やさしい日本語――多文化共生社会へ (岩波新書)

 

 読み出して、一瞬期待を裏切られる。

じつはこれ、日本語そのもののテーマではなく、多文化共生が主題であるからだ。

日本語を話すのは、決して日本人だけではない。

例えば台湾。日本統治下で教育を受けた人々の多くは、日本語話者として長く読み書きをしてきた。今でも、北京語を話せたりしても、複雑なことを考えたり心境などを表現するには日本語の方が得意とする人は多い。

国内に目をむければ、在日外国人の人々。そしてちょっと未来に目を向ければ、難民・移民も今後は増えていくであろうし、その時彼らの多くは日本語話者となるからだ。

特に難民・移民に限定した場合、多くの場合はまず貧しく、母語や母国での教育も満足でないことが多い。そういう人々が日本に来たら使う言語は何であろうか? ゼロから外国語を学ぶ必要があり、就職や生活していくためには、その定住先の言語を学ぶのが手っ取り早いものである。たしかに日本にいて日本で生活していく言語的マイノリティーな人々にとって、英語は共通言語になり得ない。だからこそ、どんなに多言語表記がすすんでも「やさしい日本語」であることが必須なのだ。

本書では日本定住の外国人ばかりでなく、障がいをもつ人々に対する言語的配慮にも論究しており、さまざまな視点で「やさしい日本語」の必要性を教えてくれる。

それと同時に日本語とはなにか、という問を違った視点から見つめ直すのによいきっかけとなった。

なお付録の「やさしい日本語マニュアル」は日本語を母語にしている人々にも充分使える内容であるので、活用していきたい。