下りるために登るんさ
1985年8月12日。
私は小学生で、テレビで日航機墜落の速報を目にした。
その後、祖母を相手に「大変だー!」と騒ぎ、テレビを通して入ってくる速報に釘付けになっていた記憶がある。
私の長野出身。
当初、言われた墜落現場は長野県。複数の目撃が県内から寄せられているということで、長野の放送局は大騒ぎだったのである。
この時、情報は錯綜する事実を初めて知った。特にテレビを通しての情報が錯綜し、記者たちが慌ただしく動く様は強い印象を与えた。
この後、同様の体験をしたのは、阪神淡路大震災、サリン事件、アメリカ同時多発テロ、東日本大震災の時ぐらいだった。
この時の究極までの緊張感を描いたのが、横山秀夫であった。
この事故が起きた時の混乱ぶりが、作品内での臨場感ある描写によって浮き上がり、懐かしさすら感じた。
この作品を読みすすめているだけで、ただひたすらに絶壁を登り続けるような緊張感がある。まさしく、「クライマーズ・ハイ」だ。
それは作品内にたくさんの「対立」が描かれているからだろう。
現場が長野か群馬かで、大きく変わる管轄争い。
浅間山荘事件にしがみつく先輩と、今回の事故に影響される後輩。
政治とジャーナリズム。
管理職と現場。
部門争い。
そして、父と子。
ぬきさしならない対立関係が、作品の緊張感を高めてくれる。
そしてこの世界は、秀逸な小説だけでなく、秀逸な映像作品にもなった。
あの事故から30年。
今一度、あの事故がもたらしたものはなんだったのか、考えてみたい。
そしてこの記事を書いている間に、こんなニュースが飛び込んできた。
事故の後遺症はまだまだつづいている。