うさぎの書斎

司書教諭が読んだ本

心の中の100冊:001.『寵児』津島佑子――「父」の不在

第1冊目を何にしようかと迷いに迷ったあげく、もっと別の機会にとか思いつつも、今の私の血と肉となったこの人を挙げる。津島佑子である。今の子どもたちには、「太宰治の娘」から紹介しないとならないと思う。

寵児 (講談社文芸文庫)

寵児 (講談社文芸文庫)

 

 「父」の存在も「夫」の存在も拒否して宿った命を一人で抱えて生きようとする女性が主人公。さまざまなしがらみや偏見を振り払い、一人で生きていこうとする主人公に待ち受けていたのは、我が子と思った正体が「想像妊娠」だったという事実。

この作品を、生徒に薦めるかと聞かれたら、多分薦めることはないと思う。実際、津島佑子太宰治がらみのところで紹介はするものの、薦める作品となると、子どもの心に訴える作品としては難しい気がして薦めにくい。

 

津島は、太宰治の3番目の子どもとして生まれた。その年、太宰にはもう一人子どもが誕生している。太田静子との間にできた太田治子である。そして津島が一歳の時、太宰は衝撃的な心中事件を起こし、命を絶つ。あまりに幼すぎた津島にとって、「父」の記憶はないに等しく、その後あらゆる作品を通して「父」の不在が作品のモチーフとなっていった。それは「知らない」という意味では無意識のことだったろうし、またあまりにも有名すぎる父であったがゆえ、強烈に意識していたのも事実である。処女作の「夜の……」は、太宰の作風を意識した作品であった。それ以降は、太宰の影は消える。しかし作家として常に意識続けていたからこそ、太宰の影が消されたのではないかと思う。

同い年の異母姉妹で同じ職業ということもあり、太田治子とはなにかと比較されてきた。その上、両者は父に対する態度としては全く正反対である。

「父」の存在をかき消すかのような津島に対して、太田治子の方は、アイデンティティの確立もあったのだろう、徹底して「父」とそして「母」を追い求めた人である。 

 父の故郷にも自己のルーツを求めて足を運び、高校時代には義姉(太宰の長女)に会いに大学にまで押しかけ、拒絶される体験も持つ。

 

さて、津島佑子の話に戻す。

津島の作品は、とにかく男は存在するのだが、「父」はもちろん、「父」に繋がる性的役割の 「夫」も存在しない。もちろん「夫」は出てくるのだが、大概は元「夫」であり、その役割は抹消された状態でしか出てこない。

ひとえに、彼女自身の人生が作品に投影された結果であろう。

 

 ようやく太宰の姿をうっすらとではあるが登場させたのが、母方の一族の歴史を題材に描いたこの作品である。NHK朝の連続テレビ小説純情きらり』の原案でもある。

火の山ー山猿記(上) (講談社文庫)

火の山ー山猿記(上) (講談社文庫)

 

 富士の麓の町に生まれ育った石原美智子が、太宰と結婚する前後の物語として太宰が描いた作品がこちら。 

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

 

『火の山』は、太宰治関連の物語として子どもたちに薦めている。 

 

「父」の不在と同時に、「男」も希薄な存在といっては語弊があるが、生命やどる身体を持つ存在の「男」も実は津島作品では不在がちである。どこかこの世には存在していないような霧のかかったような描写が多い。それもそのはず、生後間もなく男性として一番近いはずの 「父」が死亡、家族の中の唯一の男性で一番仲の良かった兄とは子どものうちに死別、そして息子も幼いうちに事故死でなくしている。いずれの死も、彼女にとって現実の世界で起きたこととは認めがたかったらしく、あまりにも心許ない不確かな存在として作品に描き続けた。

津島は、作品世界にその時々のプライベートな出来事を作品に組み込んでいるため、執筆中なにが起きているのか非常にわかりやすい作家であった。彼女が最後の伴侶を得た時、ちょうどそれらしき人物が作品内に出現したときだったので、耳に入ってきたとき驚かなかった位だ(出版関係、日本文学関係者の間で、スキャンダラスに伝わってきた)。

『寵児』が書かれた頃、津島は後に事故死で失う長男を出産した直後であった。主人公と登場する男たちとの関係は、当時の津島自身の人間関係に近く、妊娠した子どものおかれた環境もまた同様であった。想像妊娠か実際の妊娠かの違いだけである。ただ、後年息子を失い、死を認められなかったことで「不確かな存在」として書き続けたのをみてしまうと、『寵児』は予言的なものにも思えてしまうのである。後付けであることは承知の上だが。

 『寵児』で描かれた「母性」ないし「女性」は、セクシャリティとしての「性」であり生まれつきの「性(さが)」として「母」と「女」の迷いを描いた作品であり、それに悩み続けた津島佑子の原点とも言える作品である。

そして「母性」と「女性」との関係は、私自身の文学研究のテーマとなり、津島佑子は卒論で、大学院では岡本かの子研究へとつながった。その上、大学院時代には太宰研究を専門にする師匠と仲間に囲まれたせいもあって、国語教師となった現在では必要以上に太宰治を語る教師となり、学校史に関わることになったお陰で太田治子にも関係して、と、もう何が何だかわからないほど、私の血肉となっている。

 

 折しも今日2月18日は、津島佑子2回目の命日である。祈りたい。