うさぎの書斎

司書教諭が読んだ本

心の中の100冊:002.『本が多すぎる』斎藤美奈子ーー本が多すぎる〜♪

読む本に困ったら、人のオススメに頼るのも本探しの一つである。世の中には結構ブックリスト的なものにあふれてる。学校でも配られたりしているだろう。勤務校でも作っている。

ただブックリスト、難点は誰が作っても誰が読んでも、だいたい紹介されている本の一割になんとなく興味が湧き、実際読んで面白いと感じるのは1%だ。作り手として子供の反応と、なによりブックリストは好きで色々見てきて、本好きと言われる私が実際に感じた割合だから、あながち間違えではないと自信がある。もし自分が作ったブックリストで、2割以上の本に興味を示してくれたら、それはそうとう子供の心を掴んでいるということだ。

その中でもお気に入りの著者は、斎藤美奈子。だから2冊目は彼女の著作の中から。

 

本が多すぎる (文春文庫)

本が多すぎる (文春文庫)

 

 

ひさびさに自分に大ヒットな一冊であった。何がって、タイトルが。

そうよ、そうよ、本がとにかく多すぎて、読むのに追いつかないのよ!という悲鳴にも似た共鳴。

まして、ちょうど生徒からこの本を紹介された直後だったから、余計混声四部合唱で、インパクトに残りやすい上昇音形での「本が多すぎる〜♪」とワンフレーズが出来上がり、脳内再生が繰り返されてしまったから。

 

 

くちびるに歌を (小学館文庫)

くちびるに歌を (小学館文庫)

 

 

斎藤美奈子の読み方は、優等生的な読み方ではなく、なかなか鋭い突っ込みが多く、ユーモラスなところが好きである。なにより、膨大な知識量をフル活用している点が、自分の知的好奇心に火をつけてくれる。米原万里にも共通したものがある。

また選択する本もなかなかである。硬いものから柔らかいものまで、その幅の広さには驚くばかりである。池澤春菜も結構な活字中毒だが、書評等になるとどうしても連載媒体や読者層の関係もあってか、小説が多い。

 

乙女の読書道

乙女の読書道

 

 

あとは大学教授で著名な方々は、やっぱり小難しいものが多い。それはそれでいいのだが、娯楽的に読みつつ次に読む本も探せるとなると、わたしには斎藤美奈子が適任だったりする。

そんなわけで、収録本も最多を競うであろうこれは、もう私にとってバイブルみたいなもんである。

 

本の本 (ちくま文庫)

本の本 (ちくま文庫)

 

 

書評といえば、なぜかうちの卒業生たちで芸能人として生計を立てているのは、結構読書家で、しかも本を出すほどである。

多分、卒業生で一番有名であろう方は、作詞だけでは飽き足らず、昨年とうとう小説まで書いた。(エッセイ、絵本はすでに刊行済み)

某女優も書評集を出している。ちなみにこの2人は私が奉職する以前の生徒。

某女優がとうとう書評集だしたか、と知った矢先、私が在職してからの生徒で、方々のインタビューで高校時代好きだった居場所にうちの図書室をあげていたやはり某女優が、インターネットで書評サイトの担当となった。

私と直接は関わってない卒業生だったが、やっぱりこの分野に興味を持ち影響を与える仕事をしてくれてることは素直に嬉しい。

 

高度情報化社会となって、本は要らなくなったと嘯く人々がいる。

情報量はたしかにインターネット上の方が多いかもしれない。同じ情報探そうにも二度と行きつけなさそうと思ったことも結構ある。

しかしだ、私は本の世界の方がもっと壮大な海原だと思ってる。インターネットは、ゴミが多く散乱している近場の海、本の世界は陸地から遠く離れ深海の域の違い。なにより歴史が違う。インターネットはたかだか長く見積もっても50年、本は文字の発明から2000年以上の歴史がある。最近ではデジタルアーカイブなどで文字記録はインターネットでも共有できるようになったが、紙の劣化やシミなどから読み取れる情報までは無理である。

なによりも、デジタル情報は、極端な話強力な磁力一つあれば一瞬で消えてしまう泡沫のもの。本が負けるということはないと信じてる。

だから、この先も「本が多すぎる」日々は続く。でもそれは悲鳴とはいえ、嬉しい悲鳴である。それにしても斎藤美奈子ですら、「本が多すぎる」というのだから、我々凡人からみたら、それ以上に「本が多すぎる」。