東京オリンピックは、高度経済成長期のにぎやかなお祝い
戦後70年ということで、この70年間を振り返る書籍が何冊も刊行された。
私も勢いに任せて買ったが、なかなか本腰入れて時間かけて読む機会がなく積ん読状態。
ようやく読んだのが、『戦後史入門』。
私自身は文学部出身でバリバリの国文学。一応、歴史的視点をいれて論じること自体はできるのだが、歴史学は一般教養で学んだ程度。
ところが、就職してから、なぜか歴史と関わることが多くなり、かなり真剣に大学で歴史学を学び直そうかと悩んだ時期もあった。それは歴史について書いたり話したりするたびに、そもそも歴史とはなんなのか理解できないままでいる自分が歴史を語ることに対して恐怖や、場合によってはおこがましさを感じたりしてなんとか学びたいと思ったのである。(これほど苦悩してるのに、その手の仕事を押しつけるって一体……)
結局、学ぶ機会はないままいまにいたるのだが、その答えは本書にあった。
たくさんの出来事から、ある出来事を抜き出し、別の出来事とむすびつけて説明することが歴史なのです。歴史は出来事を解釈し、語る営みです。(16p)
常々肌で感じていたことであったが、同じことを体験していても世代によって言うことがちがったりしていて、正直なところ判然としないままできていたのだが、それそのものが歴史だったのだ。
解釈し、語る以上は、人によって違うものとなる。これがすなわち、視点や立場が変われば、歴史の中の呼び方が変わるというものである。
太平洋戦争と大東亜戦争、敗戦と終戦。両者の違いをこれまでも漠然と区別しながらもどうしてだろうと疑問には思っていた。解釈や切り口、強調するところがちがうため、語られる歴史は自ずと違うものとなるのだ。
そしてなにより、
歴史は、いつも「いま」を説明するために考えられている(111p)
のである。
これだけ語る人によって違うものだといいつつも、やはり身勝手に語っていてはいけないことを筆者は、『三丁目の夕日』と『焼肉ドラゴン』を比較しつつ次のような警鐘を鳴らす。
歴史を記憶だけで語ってしまうと、自分が大切な記憶を失い、他者が大事にしている記憶への想像力が働かなくなってしまう。( p)
記憶は、その人や集団のアイデンティティとかかわっていますから、他者の記憶を知るためには、少し距離をとって、その記憶を歴史の視点からとらえ直さなければならないのです。(83p)
歴史は起こった出来事がすべてその後の歴史として語られるわけではない。一定の「プロセスを経て、はじめて歴史になる」のだ。
これは先日身をもって理解していた。昨年の出来事を他の仕事で紹介しようと振り返ったとき、どれも選べなかったのである。その時は生意気にも「まだ最近のことで、歴史の評価が定まっていないからよね」と思っていたのだが、その違和感自体は本書で裏付けられ、自分の中で納得できたのはよかった。
歴史の中では珍しく、同時代の人がいろいろな方向に向かって生きているにもかかわらず、あたかも事前に「流れが一つに決まっていたかのような一瞬」があり、その一種の切断点が1945年8月15日の終戦の日であると筆者は指摘。それから70年間に起きた出来事をとらえようと試みたものであるし、戦後のとらえ方も大変勉強になったのだが、それ以上のしもしも歴史学とはなにか、を学べた一冊。
事実こそ小説
もともと評伝が好きである。
一人の人間の生き様を読むのが楽しい。その人のハレの部分もカゲの部分も、どちらもあって初めてその人生が色彩豊かになる。
そして、ここのところ吉村昭がマイブームになっていた。
だから、実家に帰省中、長野の大型書店でこれを目にして買わないはずがない。
このブログを開設した時の記事にも書いたように、吉村昭は私にとってはホッとする文体の作家で、作品そのものに強い感銘を受けてファンになったというより、乱読していく中でいくつかの作品に出会い、ホッとする印象を残した作家である。
もともと好きではあったが、最近のマイブームに火をつけたのが、これ。
今年6月、勤務校の図書委員たちをつれて、店頭選書会にて生徒が選んだ一冊この手のものの中に、紛れ込んでいたのである。
私と司書さんが早速読み、以来私の吉村昭熱が再燃。
むろん、東日本大震災後にもこれを読んでいたのもある。
では吉村の作品でなにか好きかと問われると、正直わからない。
もともと吉村作品との出会いは、妻の津村節子を読んでいた中での出会いである。
大学時代の研究が、女流文学だったからだ。そのうち、ゼミで現代の短篇小説を扱う中でさまざまな作家の短篇を乱読し、その中で吉村作品ともであったのである。
そんなのだから、同じ頃読んだ三浦哲郎と混乱することすらある(汗)
確か、津村の作品を読んでいて、吉村の姿を意識したのはこの場面だ。
「あのね、鯛が骨だけで泳いでいるのよ。ほんとよ」
春子は熱い緑茶をいれながら言った。志郎は返事をしなかったが、春子の話は耳にはいっているらしかった。
「歯医者さんのグラフ雑誌に写真が出ていたの。なんでも鳥羽の旅館の料理人が苦労したらしいんだけど、鯛の活きづくりを観光用に研究して、鯛がわずかの間生きていられる限界まで身を剥ぎ取って泳がすことに成功したんですって。頭と内臓を残して、骨が透いて見えるほど肉を取ってしまってあるのよ。だから、まるで骨だけで泳いでいるみたいに見えるの。」
志郎の顔に明らかに興味をそそられたらしい色が浮かんだ。(『玩具』より、『評伝吉村昭』にも引用部分あり)
吉村自身は大家族の家であったが、両親・兄弟ともに若いうちに不幸が相次ぎ、また自身も満身創痍の身であったから、骨だけで泳ぐ鯛に興味を持ったことは容易に想像できる。当時は、妻からの夫に対してのまなざしを読み取るだけであったが、今回吉村の評伝の一部として読み返してみるとなかなか面白い。
『評伝 吉村昭』は、あらためて私がなぜ吉村を好きなのかという理由をまるで代弁してくれているかのように書いてある場所がいくつかあるので、あげてみたい。
吉村は驚きを感じて身をひそめ沈黙した。熱気の中にいたような戦時中に、それほど多くの戦争批判者がいたことは想像することも出来なかったのだ。吉村昭自身は勝利を信じて働きつづけ、戦争に積極的に参加した軍国少年だった。そんなことから、まるで自分が犯罪者であるような怯えにもとらわれた。しかし、次第に吉村昭は、そうした“進歩的知識人”なる人種の発言に反撥を抱くようになる。その体験が、のちに戦史小説を執筆するに当たっての原動力になっていることは疑い得ない。(30p)
洗脳教育的な戦前の教育の浅はかさと恐ろしさを知ると同時に、『進歩的知識人』なる人々への反撥もまた理解できる。
歴史を後から批判することは簡単である。しかし批判やまた逆に憧憬をもっていても意味はない。大切なのは、過去の歴史から何を学び、それを未来に活かしていくのかが大切であって、実は自分は戦争には反対だったと後から言って、吉村が抱いたような「犯罪者であるかのような怯え」から逃れようとすることは、自らの立ち位置を冷静に捉え判断できるはずの『知識人』とは遠く乖離した姿である。
小さな世界で、くっきりと人間の営みが浮き彫りされているそのジャンルがきわめて魅力に満ちたものに感じられた。志賀直哉の文章の端正な文章に、日本語の範とすべき文体を感じ、森鴎外の歴史小説に、簡潔な文章が峻烈な主題を冷徹に表現しているのを知った。(42p、『私の文学漂流』よりの引用部)
私が大学時代に研究対象として短篇小説を主に選んだのも、まさしく吉村と同様に人生き様がくっきりと描かれている点であった。もちろん、長編として評伝が好きなのもまた、この延長であろう。
吉村昭の最後の死の選択については、いろいろ思うことも多いので別の機会に。
さて、本書内にはたびたび同人誌について出てくる。私より下の世代で同人誌となると漫画やアニメの世界となってしまう。頭では違うとわかっていても、文豪達の同人誌の位置づけは、いまいち実感をともなった理解ではなかったので、そのあたりは作家達の人間関係などが、本書で学べて面白かった。
そして同人誌ネタで面白かった話が、写植・印刷を刑務所に依頼していた話である。(45p)
私が高校時代、文学部に所属していて、年に一度部誌を発行していた。当時はワープロが普及し始めたころで、自分で活字にして印刷・製本も可能になり始めたころであったが、ワープロはまだ高校生には高すぎるおもちゃであり、一部の人間しかもっていなかった。そのため、活字本は写植から依頼する必要があり、わが文学部では長野刑務所に毎年依頼していたのである。
入口の守衛所で女子高生たちがいる姿は、近所の人達には奇異な光景であっただろう。
私が在籍していた頃の部誌。先日母校の学校図書館を訪ねたら、保管してあったモノを発見。
今は写植の必要ばかりか、図版すらもコンピューターで素人にも可能となり、また印刷も安価に出来るようになった。いまでも部誌そのものは刊行しているようであるが、印刷はどうしているのだろうか。ぜひとも知りたい。
下りるために登るんさ
1985年8月12日。
私は小学生で、テレビで日航機墜落の速報を目にした。
その後、祖母を相手に「大変だー!」と騒ぎ、テレビを通して入ってくる速報に釘付けになっていた記憶がある。
私の長野出身。
当初、言われた墜落現場は長野県。複数の目撃が県内から寄せられているということで、長野の放送局は大騒ぎだったのである。
この時、情報は錯綜する事実を初めて知った。特にテレビを通しての情報が錯綜し、記者たちが慌ただしく動く様は強い印象を与えた。
この後、同様の体験をしたのは、阪神淡路大震災、サリン事件、アメリカ同時多発テロ、東日本大震災の時ぐらいだった。
この時の究極までの緊張感を描いたのが、横山秀夫であった。
この事故が起きた時の混乱ぶりが、作品内での臨場感ある描写によって浮き上がり、懐かしさすら感じた。
この作品を読みすすめているだけで、ただひたすらに絶壁を登り続けるような緊張感がある。まさしく、「クライマーズ・ハイ」だ。
それは作品内にたくさんの「対立」が描かれているからだろう。
現場が長野か群馬かで、大きく変わる管轄争い。
浅間山荘事件にしがみつく先輩と、今回の事故に影響される後輩。
政治とジャーナリズム。
管理職と現場。
部門争い。
そして、父と子。
ぬきさしならない対立関係が、作品の緊張感を高めてくれる。
そしてこの世界は、秀逸な小説だけでなく、秀逸な映像作品にもなった。
あの事故から30年。
今一度、あの事故がもたらしたものはなんだったのか、考えてみたい。
そしてこの記事を書いている間に、こんなニュースが飛び込んできた。
事故の後遺症はまだまだつづいている。
オリジナリティー
作家は文字という道具を用い、自分の世界を表現する。
語彙そのものは何万語という途方もない数であるが、それでも無限ではない。言い換えれば、限られた範囲の中で言葉を組み合わせて表現しなくてはならない。
作曲家はもっと大変である。基本は12音。あとは音の高低とリズムの組み合わせ、それから楽器の音色を組み合わせることで新たなものを創作しなければならない。
限定的な中で作り出すということは、たとえ数%の確立であっても、「類似」なものが生まれる。
創作手法の一つとして「パターン」がある。そのパターンが基本に沿ったもので、もしくは簡潔なものであればあるほど類似する可能性は高まる。
そしてその究極の簡潔なものに行きつくと、基本の形が同一であれば、当然類似どころか全く同一のものになるのも、可能性はゼロではない。
そこまでいきつくとどうなるか。先に生み出した者のものであるとし、後出のものは場合によっては「盗作」と見なされる。
悪意のある盗作は、話は簡単である。盗作した者が悪く、著作権侵害で責めを負えばよい。
問題は、無意識下での真似や思い込み、または偶然の産物である場合である。それも表現上では限りなく似通っていて、どこまでが類似でどこまでが盗作か判断できない場合である。
さらに問題をややこしくするのは、絵画にしても文体にしても、その表現技法を習得する一つの手段として、「模写」がある。絵画ミステリーで、修行のため精巧な模写を作成しているうちに悪徳ブローカーに目をつけられ、いつの間にか贋作事件に巻き込まれるていう話はよくある。
私自身の経験ではあるが、人の手書きの文章をテキストデータに書き起こしているうちに、その文体が自分のものとなってしまうということもある。
模写以外にも、一つの文芸的お遊びとして、「オマージュ」や「パロディ」、さらには「本歌取り」というものもある。
これもまた、時には著作権の侵害として、「盗作」呼ばわりされることもある。
本書は、言語学的にどこまでが「類似」の表現で、どこからが「盗作」と言わざるをえない同一性をもっているのかを、言語学的に検証したもの(題材に挙げてある文章に対して、盗作であるかどうかを断罪するものではない)。
結論から言ってしまうと、語彙単位ではなかなか「盗作」とは判断できない。助詞・助動詞が多少違いが生じる理由については、
(大学の授業で、学生に音読させたとき)例えば「東京へもどった」とある箇所を学生が「東京にもどった」と音読することがある。読み間違いではあるが、自身が日頃使っている表現を思わず発生してしまうということだろう。こういう場合、学生は自身が読み間違ったことになかなか気付かない。(87p)
といい、無意識下による改変に過ぎないと指摘する点が面白かった。
そもそも筆者が、これを執筆した背景には、レポートなどの剽窃問題があった。
(コピペの行為は)自身のオリジナリティーを自身で否定している(191p)
もうコピーアンドペーストという行為そのものが、自分のオリジナリティーそのものを否定した行為というわけだ。
さて、作家は言葉によるお遊びが好きである。そのお遊びが、前述した「オマージュ」や「パロディ」、「本歌取り」である。
最近では少年探偵団のオマージュ本が出された。
パロディは、芥川龍之介の王朝物作品が有名ではあるが、私のお気に入りのパロディを紹介したい。
今日、パパが死んだ。
昨日かもしれないけど、私には分からない。
殺人よ、こんにちは―赤川次郎ベストセレクション〈7〉 (角川文庫)
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もちろん元ネタはこれ。
きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。
これだけ比較すれば、語彙のレベルでも文章の構成もほぼ同一であるが、「ママン」が「パパ」に変更されただけで、秀逸なパロディ作品に華麗に変身する。
もちろん、オマージュにしろパロディにしろ、一部分を変化させただけでは評価されない。
タイトルと、主人公と、その親と年若い親の再婚候補者と海辺の別荘で過ごす設定の元ネタはこれ。
実を言うと、私が『殺人よ、こんにちは』を読んだのは小学校6年生。だから、『悲しみよこんにちは』を知るはずもなく、高校でこの作品を手にして思ったのは、サガンがパロディを書いたのか、ということだった。無知って怖い。
赤川次郎は、さらに自分の作品すらも発展させてしまうところがすごい。
殺人よ、さようなら―赤川次郎ベストセレクション〈8〉 (角川文庫)
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もう一つ、秀逸な本歌取り小説。
単独でも十分楽しめるが、元ネタを読んでおくともっと楽しめる。
そこに書かれていることが他のどの作品の影響をうけていたり、また意識しているか、さらには元ネタが何かなどを読み取ることは、本読みの一つの楽しみである。
ところが、近年はそういった楽しみは、「著作権保護」の下にできなくなっているらしい。
今邑彩は、文庫版のあとがきで激怒している。何があったのか、ググるくらいでは分からなかったが、著者がここまで書くと言うことは相当なことがあったのだろう。
盗作も剽窃もしてはならないことであるし、著作権も守らなければならない。
しかしながら「遊び」心を忘れず、そしてそれに対して寛容でありたい。
ミクロの決死圏
「死」は恐ろしいことである。
人は、突然「死」に直面するとしばしばパニックになる。特に、それが原因不明で治療法も対処方法もわからずとなれば、集団ヒステリーともパニックともなり得る。
最近でいえば、エボラ出血熱がそうであり、少し前は各種新型インフルエンザ、エイズもまた新しい方であるし、現在進行形。パニックの割によく分からないままうやむやになったのは、狂牛病のあたりか。
さて、『医学探偵の歴史事件簿Ⅱ』がいつの間にか刊行されていて、しかも自分で図書室に受け入れていたにもかかわらず見過ごしていて慌てて読んだ。もちろん『医学探偵の歴史事件』も読んでいる。
探偵ものの物語が大好きな私が読むのは自然のことだったが、実は勘違いからこれを読もうとした。その勘違いとは、「本業は医者という探偵の小説」と思って、わくわくしながら手に取ったのである。
もちろん、岩波新書という点で「あれ?」とは思った。でも永六輔の『大往生』や大岡信の『折々のうた』などのエッセイやコラムといった文芸作品もたまには出すし、ちくまプリマーでも変化球のように小説入れるからなぁ、とも思い、小説だと信じ込んだ。
ちなみに、この時点では「歴史」とタイトルに入っている意味は深く考えていなかった。「医学探偵」しか目に入っていなかったのである。
その次におかしい、と気がついたのは、NDCが「490.2」だと知った時であるが、すでに脳内では「この本は探偵小説」という刷り込みがされており、そのモードのまま読み始めたのである。
そのおかげかどうかは分からないが、探偵の事件解明の過程は、医者が病気を解明する過程と同じであるということが、すぐ納得でき、まえがきに対しても素直に納得できた。
だから、海堂尊や知念実希人といった推理小説作家がいるのもうなずけた。
チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 599)
- 作者: 海堂尊
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さて、本書では、その当時には原因やそもそもどういう病気であったのか分からない症例を、少ないながらも残された文献などから歴史上の人物たちの病気を推理していく。
その時代では、「奇蹟」であるような治癒話も、医学が進んだ現代では奇蹟でもなんでもないことが、様々な科学技術の発展をも同時に読み取れて面白かった。さらには、これだけ医学が進歩しても、まだ解明ではない病気もあり、それはすなわち今後のさらなる医学発展の余地があることをも示唆している。
なお、医者でありながら作家という人は、たくさんいる。森鴎外、渡辺淳一、帚木蓬生、加賀乙彦、南木佳士、北杜夫、藤枝静男、夏川草介、など。
そもそも知性が高いから文章を書くことができる上に(森鴎外の時代はまさしく特別な知識階層だったわけだし)、医療を通して彼らは実に大勢の人の人生を垣間見る。生と死は人生そのものであり、彼らは経に性と死に対峙している。そしてそれらの体験が、小説という形になるのであろう。
最後に。
原因不明の病気に対してパニックを起こすのは、今も昔も変わらない実は普遍的なことなのだとも思った。
よく分からない病気を、すべて災いや魔女といったようなもののせいにできた社会というのは、いつ自分がその被害を被るのか怖く思う反面、そういう単純な社会がお気楽さが感じられて、アップアップの現代からその時代にタイムスリップしたい気分でもある。
ピカ
8月6日なので、ヒロシマに哀悼の意を込めて。
小学校1年生の時の、母からのクリスマスプレゼントがこの本だった。
広島の原子爆弾の投下については、この絵本で初めて知った。
以来、私は戦争の本に興味を持ち続け、中でも広島・長崎についてより強い興味を持ち続けている。もっというと、ジャンルがジャンルなだけに、この表現はふさわしくないように思うが、私の戦争文学好きとなった原点である。
この本から私が感じとったのは、灼熱地獄の熱さと、一方で不気味なまでの静寂である。原子爆弾によって、一瞬にして吹き飛ばされてしまった広島。その光景が目に浮かぶようである。
ヒロシマの悲劇について読んだ次の本は、少し前に話題になったこれである。
私にとってこの本は、『ひろしまのピカ』に描かれた光景の裏付けとなった。特に皮膚が高熱で溶けてぶら下がってしまうのは、誇張ではなかったことを知った。
小学生当時は繰り返し読んだが、正直なところ今は読めない。絵を見るのが辛いのである。画風に批判的な意見があるが、それ自体は認める。認めるが、やはり原子爆弾がなぜいけないのか、そして戦争がなぜダメなのか、それを子どもに訴えかけるにはなくてはならない作品である。これがなくなったら、私達は原子力爆弾の威力を忘れ、平気で核と共存する道を選んでしまうだろう。そして歴史に学ぶことなく、同じ過ちを繰り返し、多くの命をムダにしてしまう。
小・中学校時代、学校図書館で、この手の戦争に関する写真集を見るのが大好きだった。そして戦争に関する本も、図書館にある限り読んだ。
その中で疑問に思ったのは、なぜ日本は戦争を起こしたのか、そしてなぜ負けたのか、
なによりどうして国際的にアメリカが責められず、そして日本もアメリカを恨んでいるようにみえないのか。子ども心に疑問はいっぱいあったが、どれも適格に答えてくれるものはなかった。ただただ、敗戦を受入れ、復興に専念した姿だけが浮かび上がる。玉音放送にもあった、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」を戦後も体現したようで、すなわちそれが日本人の国民性だったのかもしれない。その耐える強さが、戦後思わぬ速さで発展したようにも思える。
広島の原爆に興味を持ち続けた私は、広島の地を訪れ、平和記念公園および資料館を訪れるのは夢であった。
訪れ機会は、長崎の方が先だった。高校2年の修学旅行が九州で、長崎を訪れた。実際に長崎の街を歩くことで、広島より被害が軽微で助かった人も多かった理由が実感としてわかり、また資料館も初めて見る資料に興味深かった。
大学時代に広島を訪れることができ、資料館へ訪れたが、そこに並んでいる資料の多くはすでに本で目にしているものが多く、目新しいものがなかったことに落胆している自分自身に驚きショックだった。
昨年、再び広島を訪れた。
かつてのショックも和らぎ、改めて展示を見ることが出来た。展示されている人形の撤去問題直後であったため、戦争の悲惨さを伝える表現手段の問題と受け止める側の問題について考える良い機会が持てた。
戦争は、人間の本能や、政治力学から考えたら容易になくなるものではない。どんなに悪いことだとしても、暴力がなくならないのと同じである。
だからこそ、反戦運動や平和運動は大切なのである。少しでも戦争を思いとどまるようにするために。少しでも悲劇を少なくするために。
その第一歩が、過去の悲劇を知ることでもあり、読書の効能として大切な事でもある。
奇跡のリンゴ
読書に関する本は、可能な限り入手している。
私の読書術というのは、誰をまねしたものでもなく、自己流である。そのためなかなか言語化して説明するのは難しい。自分の読書術の言語化にふさわしい表現を探して読み続けていると言っても過言ではない。
またあまりにも自己流で、子どもたちに読書の方法を教えるとしたら、一つの手法に限定せず、自分の好みでいろいろな手法の中から選ぶべきとも思っているため、さまざまな手法について情報を手に入れるようにも読んでいる。
さて、今回手にしたのはこちら。
頭は「本の読み方」で磨かれる: 見えてくるものが変わる70冊 (単行本)
- 作者: 茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2015/06/24
- メディア: 単行本
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この本を読んでいるとき、気がついたのは、私はページを後方からさかのぼるようにめくるということである。たしかに中学生時代に、推理小説をラストから先に読むこと豪語した記憶があるから、今更気がついたというのもおかしな話だが、改めて実感した。結論を先に探し、どう肉付けされていくかを辿るのが、私の読み方らしい。
読書は、よく疑似体験という。本書でもそれを指摘するが、そのたとえがすごい。
すごくないですか? 本を読むということは、太宰治やドストエフスキーと何度も夕食をともにするようなものなのです。(22p)
実際それで感動するかといわれたら、懐疑的ではあるが、たしかにそうである。
読書は、本を通して思わず傷つくことがある。特に思春期に凄惨な場面が出てくるのに耐えられない生徒もいる。どんな正義的であったり倫理的なお話しであっても、時には過去に追った傷を思い出すきっかけとなり、ダメージを与えてしまうのも事実。
凄惨なシーンがでるような暴力的な小説は読むな、とはいえても、教科書に載るような古典であったり、社会問題を啓発するための内容である場合は、読むなと言うばかりか積極的に読めといってしまう。もっと配慮しにくいのは、その子どもが傷つくポイントがどこにあるのか、それは人によってさまざまなところにある。
私がよく生徒にいうのは、読書という疑似体験で、より悲しく辛い体験をしろ、とあえてけしかけている。それは疑似体験だから。もちろん、無理矢理ではない。意図せずそういう本に出会ってしまったら、である。もちろん、それ以降を読む読まないは本人の自由意志による選択の上でである。それによってダメージをうけても、疑似体験であり、それとおなじ様な体験をしてしまったときの予行練習として、そして自分ではない誰かがそういう体験をしてしまった時に支えられるように、心の準備の必要があるからだと言い聞かせている。
そしてもし疑似体験でも辛い思いをしたら、自分では抱え込まずに近くの大人にその思いを吐露するようにとも言っている。
疑似体験により苦しみをしり、また助けられる安心も知ることで、より成長したり、強くなれると思っているし、それが読書の成果の一つだとも思っているからだ。
名作とよばれる文学作品は、人間の心情という、時代や文化・文明が変わっても変化しない普遍的なものを描いているから、時代を超えて読まれている。だからこその名作である。
私は、そう思ってきたし、そう表現してきたが、茂木は次のように述べている。
古典を自分なりに現代に置き換えて読むおもしろさを発見できると、本の読み方が劇的に変わってくるはずです。 (124p)
たしかに、時代を超えても置き換えられることは、すなわち「普遍」であるわけだ。
最近めざましいスピードで普及している電子書籍についても言及している。
私自身も電子書籍の愛用者である。まで、場所をとらない。一度に何冊も持ち歩き、探すのも検索機能がついているから楽である。あまりにも使いすぎて、iPad miniは三台目である。容量が足りなくなったり、バッテリーがへたったりするためである。
それでも紙の本の方がよいと思っているのだが、なかなかうまくは説明できていなかった。それを茂木は次のように指摘。
紙の持っている「見渡しやすさ」が、全体の中で出来事をとらえるということに効果的に作用する(184p)
まず電子書籍だと、ファイルサイズは明記されているから、相対的に多いか少ないかの検討はつくが、長編か否かという判別はすくなくとも一瞬ではできない。長編を読むならそれなりに覚悟は必要だし、逆に短篇あればもう少しあってもいいのにと、少々消化不良を起こす。
また、推理小説などを読んでいると、そろそろ事件の核心に近づいてきたかどうかも、全ページの中で読んでいる箇所がどこか本を持っている手の感触によって見当がつく。まだ半分ぐらいのところで事件の真理に近づいたなと思わせても、その位置であればこの後大どんでん返しがくる、という予想ができる。
なにより、あとどれぐらいで読み終わるか見当がつけられるのは紙書籍のほうで、残りのページ数如何で読み切ってしまおうかどうか判断できる。
本を読んで印象に残るのは、文章はもちろんなのだが、表紙の手触りやページの厚みによる大体の場所などとセットになって記憶に残るのである。手垢がついたり、装幀がぼろぼろになることで、その本を読んだという歴史が刻み込まれるのである。
読書の体験とは、これらのことも含んでのことと言いたい。
どの本がどう役立つかということはわかれないけれど、たくさん本を読むと、それが腐葉土のように発酵して脳の中にいい土壌ができる。(158p)
その土壌が培われることこそが、読書の意義である。